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不完全燃焼?だった「映画 えんとつ町のプペル」 燃焼シロ満載の傑作!!

2020年12月25日 ついに「映画 えんとつ町のプペル」が公開になりました。

早速公開初日の一番最初の時間を予約をして鑑賞してきたので、その内容をまとめていきます。

予約をしてみたら・・・

予約は4日前からできたので、近所の映画館に予約。

自分的には超大作なので、大きなスクリーンで鑑賞できると思っていましたが、実際にはコチラ

ちなみに同日公開のポケモンはコチラ

コロナ禍で数多くの映画作品が公開を見合わせていて、大きなスクリーンを獲得できるかと思われましたが、やはり最初は実績のまさる「ポケモン」の方が大きなスクリーンでした。

コチラはこれからの3日間の観客動員次第では今後変わってくると思われるので、口コミ含め応援していきます。

「映画 えんとつ町のプペル」の感想

キャラクターと背景の比率を変えてきた

2年前、西野さんは「キャラクターと背景は『3:7』ぐらいがイイ!」とオンラインサロンの投稿で言っていました。

キャラクターを見てもらうだけなら、ぶっちゃけ、キャラクターと背景は「9:1」でいいのですが、時代は『体験型(お客さんが主人公になれる場)』を求めていて、その時、その空間が『1』では人が集まりません。

つまり、「『ノンタンといっしょ ~リアル脱出ゲーム~』はコンテンツとして成立しない」という話っす。

僕が大好きなチームラボは、キャラクターと背景の比率が「0:10」で、体験型としては楽しすぎるのですが、一つ弱点があるとするのであれば、キャラクタービジネス(グッズ)展開ができないので、なかなか収益化が難しく、スポンサーさん頼りになってしまうところでしょうか。
「グッズが売れないライブ」は、なかなか厳しいですね。

ただただ、そんなことは百も承知での挑戦だと思うので、僕はチームラボが好きです。

2018年10月30日のサロン投稿より

ちなみにこの話からすると、今大ヒットしまくっている『鬼滅の刃』のキャラクターと背景の比率は「9:1」となりそうです。

『鬼滅の刃』の刃の背景は

『鬼滅の刃』の刃の背景

大正時代の日本で家族を鬼に殺され、妹を鬼にされた主人公が家族を殺された復讐と妹を人間に戻すべく、鬼と鬼の始祖を倒そうとしている「鬼殺隊」と共に鬼に立ち向かう物語。

と無茶苦茶シンプルな背景となっていますが、キャラクターが強い!! これは『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴さんの偏愛ともいえるキャラクターへの愛が原因と思われ、一例として“上弦の参” である猗窩座の設定が単行本に記載されていますが

作者も自分で書いていてびっくりするほどのキャラクター設定。しかも本編ではほぼ触れられていない設定ですが、猗窩座というキャラクターの言動の背景にはどのようなことがあったのかがわかるすごく重要な設定です。

このような異常ともいえるキャラクター設定をすべてのキャラクターに施しているため、作者である吾峠さんが仮に引退したとしても、このキャラクター設定だけでスピンオフ作品がこれから5年くらいは次々と生み出されることでしょう。(鬼滅の刃外伝は集英社で発行するスピンオフ作品初めての初版100万部で発行されるほど大ヒット)

しかし西野さんが目指しているのは

  • ディズニーを超える
  • 300年続くエンタメの創造

であり、最大瞬間風速でディズニーを一瞬抜いても目的は達成できません。(「鬼滅の刃」の最大風速はクライマックスに向けたこれからだと思いますが…)

また、キャラクターが人気になるかどうかは不確定要素か多く、『鬼滅の刃』のように「キャラクターを突き詰めれば人気が必ず出る」ということでもありません。

成功する確率を上げる・失敗する確率を下げる

西野さん曰く、「失敗する確率を下げる」=「成功する確率を上げる」ではないそうで、むしろ別物として考えたほうが良いとのことです。

しかも「成功する確率を上げる」なんてことはできなくて、「失敗する確率を下げる」ことしかできないそうです。

そこで「映画 えんとつ町のプペル」において「失敗する確率を下げる」ことは何か?というと、いろいろとあるとは思いますがその一つに設定=背景があると思います。

えんとつ町のプペルの批評で

「設定は良かったが、それだけで傑作になるわけではない。『ハリーポッター』が良い例だ」

みたいなのがありましたが、設定=背景は西野さんにとっては映画に挑戦するにあたっての最低条件(失敗する確率を下げる)であり傑作(成功する確率を上げる)にする為の要素ではないので指摘はちょっとズレているように感じます。

では「キャラクター設定は突き詰めてないのか?」ということになりそうですが、キャラクターに関しても「鬼滅の刃」に負けずに突き詰めていますが、とりあえず設定(背景)について見てみましょう

設定(背景)について

えんとつ町のプペルの設定はかなり緻密に考えられており、時代背景・えんとつ町独自の社会の仕組み・他の作品とのつながりなどありとあらゆることに対し矛盾か生じないよう、かなり事細かく作られています。

例えば時計。えんとつ町の時計の1番上の部分は12ではなく8。

これはえんとつ町は空が見えないことに由来しているのですが、現実の時計はどのようにして生まれたのか?えんとつ町の時計はどうするのが適切か?など時計の設計から、その裏の事情 果ては数の数え方まで設計しています。

これだけの情報量がある時計の物語でも、映画ではちょっぴり時計が見えるだけ。

時計だけでなく「映画 えんとつ町のプペル」に出てくるものはすべて意味があり、そしてそれらすべてを西野さんは完全に瞬時に答えられるほど設計(背景)を突き詰めています。

このようにすべての物に意味と理由と物語を内包させて、厚みを産んでいるそうです。

キャラクターと背景の比率が変わった?

そこでやっと比率の話になりますが、サロン記事で2018年10月の時点ではキャラクター3対背景7くらいが良さそうと言っており(2018年10月30日サロン投稿)その当時のブログで初公開された「映画 えんとつ町のプペル」のプロローグではスコップというキャラクターが腐るお金の誕生からえんとつ町の成り立ち(背景)を説明するところから始まります。

しかし先日アップされた映画の冒頭ノーカットの映像を観るとルビッチのナレーションになっており

空がまだ黒かった頃・・・
天まで伸びる岸壁に囲まれたこの世界を
朝から晩まで煙に覆われたこの世界を
外の世界を知らないこの世界を
星空を知らないこの世界を
僕の父ちゃんは「えんとつ町」と呼んだ
煙突がたくさん立っているからだ

休みの日になると父ちゃんは
「煙突がない世界」の話を町のみんなに聞かせた

黒い煙のその先にある 光り輝く世界の話だ

おかげで父ちゃんは噓つき呼ばわり
「星なんてあるわけがない」と
誰からも相手にされなかった

この町があのゴミ人間に出会うまでは

これは
夜の町の最後の夜の物語

『映画 えんとつ町のプペル』冒頭180秒大公開!!

上記の通り、スコップのプロローグとは違い設定(背景)にあまり触れず、作品のテーマである

「星」を信じた少年とゴミ人間の物語

に焦点を当てており、映画も背景については全力で「STUDIO 4℃」の映像にゆだねて物語はルビッチ・ゴミ人間を中心としたキャラクターを軸に進んでいきます。

つまり、『映画えんとつ町のプペル』のキャラクターと背景の割合は6:4 もしかすると7:3くらいの比率になっています。

この比率を変えたことについては色々と意見があるとは思いますが、その効用はいくつかありそうです。

比率を変えた効用

議論のタネを残す

先ほどの時計の話でもあるように、あえて背景を明らかにしないことにより映画を観た後に一緒に鑑賞した人同士で「あれは何だったのか?」と議論するタネを残しています。

これについては2019年8月31日サロン投稿

『新世紀エヴァンゲリオン』は、物議を醸す設定により、三谷幸喜作品ばりの『読後の爽快感』を諦め、その代わりに「あれは、どういう意味だったのだろう?」という『読後の議論』を手に入れています。
多くのエヴァンゲリオンファンは、“作品を観ている時間”よりも、“作品について議論している時間”の方が長いはずです。

「作品を観ている時間」=可処分時間 だけでなく「作品について議論している時間」=可処分精神 まで奪える設定で作っているようです。

二次展開がやりやすくなる

多くの「議論のタネ」を内包している「映画えんとつ町のプペル」はキャラクターに特化したことにより二次展開もやりやすくなっています。

現在西野さんは現役大学生インターン二人にそれぞれ一つづつ大きな仕事を丸投げしており、それが

  • VR
  • ブロードウェイミュージカル

となっています。

この二つについて西野さんは完全に丸投げしており、先日「オンラインでのミュージカル」をインターン生が開催したのですが、開催前に内容の確認さえしていないという丸投げっぷり。(その後のフォローは当日明け方までがっつりやっていました)

しかし、映画でしっかりと陰ながらフォローしているように見受けられます。

例えば劇中歌のこの3曲

これは絶妙なタイミングで映画に挿入されており、しかもそれぞれがそのシチュエーションに合わせてその登場人物たちの心象風景を表現しています。

これは多分2019年8月30日サロン投稿で西野さんが言っていた

「もう一度観たい」と思わせてくれる作品は、総じて、『音楽』が前に出ていて、『会話』が少なめです。

「ストーリーの有無」というより、「ストーリーを会話で見せているか?」「ストーリーを音楽で見せているか?」の違いで、きっと僕ら(お客さん)は、『会話』よりも『音楽』の方が、プロの技術を見つけやすい(プロの技術に酔いしれやすい)のだと思います。
あとは、「文章よりも音楽の方がリフレインしやすい」というのもあるでしょう。

という考えがもとになっていると思われ、これはそのままミュージカルに転用できそうです。

また、VRについても映画でここまでキャラクターの割合が大きくなっているので、逆に背景(設定)をメインにすることで映画・絵本を何度観た人でも楽しめる世界観を演出できそうです。(えんとつ町の住民の日常・暦・時計の読み方など)

2人の現役大学生インターンの方々は、映画ができたことによってプレッシャーは半端ないでしょうがそれ以上に映画が2人の活動の後押しをしてくれそうです。

ちなみにキャラクター:背景が7:3くらいになったのは映画のみで、西野さんの作品全体で考えると比率は逆転して3:7になります。これはいずれ全貌が明らかになってくるとは思いますが、キャラクターが弱いのではなく西野さんが25歳の時に作り上げた世界(背景)が壮大すぎる為で、「えんとつ町」の背景(設定)でさえその世界のほんの一部でしかないからです。

以前映画『えんとつ町のプペル』を全国の子供達にプレゼントしたい④というクラウドファンディングのリターンで「西野本人が「西野絵本」のストーリーの全貌を語る会」というのを開催しており拝見しましたが、ざっくり言うと西野絵本とは「宇宙創造」がテーマになっているとのことで、全貌が明らかになるのはまだまだ先のようです。

不完全燃焼=「燃焼シロ」がありすぎる

「議論のタネ」の話の通り、この「映画えんとつ町のプペル」には燃焼しきれていないネタ=燃焼シロがたくさんあり、それがリピーターを生む原動力になっていくと思われます。

燃焼シロの例としては

ドロシーとクレア

劇中で何かとプペルやルビッチを助けてくれる「ドロシー」

映画では回想シーンでルビッチが生前のブルーノと共にガラス玉の腕輪を作った時手助けしてくれたのが「ドロシー」でした。

しかし、そこで出てきた(ブルーノの生前)ドロシーのほくろの位置は現代(ブルーノ死後)のドロシーのほくろの位置と反対です。

現代ドロシーのほくろの位置は双子の姉で星読みをやっていた「クレア」と同じですが、これについて映画では全く言及されていません。(パンフレットでは解説はあります)

ブルーノの死因

絵本でもある通り、ブルーノの心臓でゴミ人間であるプペルが誕生したのですが、なぜブルーノは死んでしまったのでしょう?

映画では異端審問官が手をかけたことを匂わす発言をしていますが、手口・動機等については詳しく描かれていません。

マルタ・サンポーニャ

映画えんとつ町のプペルですべての始まりである心臓を落とすシーン。絵本では配達屋さん(マルタ・サンポーニャ)が落としたことが描かれていますが、映画では誰が落としたか分かりません。

また、なぜ心臓を運んでいるのか?うっかり心臓を落としてしまったのは煙でせき込んだから?それとも他に理由があるのか?

時計

時計についてもまだ燃焼シロがあり、仕立て屋であるブルーノの仕事場にちらりと12が1番上にあるえんとつ町仕様でない時計が見えますが、これはどこで手に入れたのでしょうか?

また、星があると分かった後の世界で、これまたチラリとえんとつ町の時計が12が上にある見慣れた時計に変わっていましたがどのように導入されたのか?

その他にも夜しかないえんとつ町の人々の暮らしなどたくさん気になることがありますが、皆さんもたくさんある「燃焼シロ」是非劇場の大きなスクリーンで発見してみてください。

 

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